2014年05月31日

スコピエを三時半まで観光したあとオフリドへ。

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今日はだいぶ歩いた。
スコピエは駅からホステルにかけては、
とてつもないコミュニズム丸出しの建物しかなかったので、
今日はほとんど期待してなかったが、
旧市街に行くと教会ありモスクありバザールありと凄かった。

ここは中東かと思えるぐらい、
モスクからの祈りの爆音が鳴り響いていた。

1960年頃に大地震が起きて、
8割の建物が崩壊したそう。
それで美しい家があまりないんだな。
トルコ風呂や教会は健在だが。

マセドニア人は、
民族問題を多数抱えていて、
いつだって少数派で、
戦争に巻き込まれ、
地方名であるマケドニアからマケドニア人と自分たちを呼び出してからは、
古代マケドニアでしゃべられていた言葉がギリシャ語系だったことから、
ギリシャから偽物のような扱いを受けて、
とても大変な人生を送っている。

マケドニア人は150万人しかいない。
しかもセルビアから難民として受け入れてあげたアルバニア人にも
恩を仇で返されるような形で、
同じくアルバニア系のコソボと結託されて抵抗運動を起こされたり。

本当に踏んだり蹴ったりとはこのことだ。
でも、だからこそマケドニア人は人の痛みが分かる。
またとっても傷つきやすい。

話の流れで、トルコの占領時代の話やバルカン戦争のこと、
経済のこと、社会主義だった頃の
話をすると、とても元気がなくなってしまうときがある。

でも根がとても優しい人たちだと分かった。
オフリドに行くバスで、隣りの席のマケドニア人と四時間たっぷりしゃべった。

ホテルまで30分かけて見送ってくれた。
僕がミスって降りるところ間違えたのと、
ホテルも通り過ぎるというハゲミス犯したにも関わらず、
へーい頼むよ〜ぐらいで。

背が高く、文字はキリルのブルガリア語に近く、
色は浅黒かったり白かったり様々。

本当に彼らはどこから来たんだろう?
ブルガリア、ロシアの少数派、オスマントルコなどが
混じり合ってるんだろう。
でないと彼があんなに背が高いわけないし、
苗字もロシア語そっくりだ。

明日はオフリド一日観光してまた勉強しよう。
sakuraishinya at 05:52



プロフィール

2004年から日本製工芸品オンラインストアの職人.comを運営しています。これまで134カ国・地域を旅しました(旅行記はこちら)。
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