2009年12月

2009年12月29日

3ヶ月ぶりに何もしない日。

午前雑務をパーッと終わらせて、
昼寝をしたり久しぶりにボケーッとした!
人間て毎日全速力では走れませんね。
時には休むことが大事。

大盛りのスパゲティとビールで夕食して、
ストーブであったかくした部屋で
ボケーッと福山まさはるのドラマみてた(笑)
面白かった。

たまにはいいもんだ。
休暇は忙しい中にたまにあるから
楽しくなる。

以前は暇を持て余して
海外や国内をぶらついたりしてたけど、
仕事で毎日働いている今のほうが100倍充実してる。
今だったら旅行に行ってもモラトリアムに苛まれることなく、
思いっきり楽しめることでしょう。よし、次はインド、ネパールだ。

仕事ができることに感謝だ!
そうそう先日生きることについての
とても良い文章を読んだので添付します。

〜「中村久子の一生」〜

本日の独り言は、私の見つけた
「実在した人物シリーズ」です。

中村久子(なかむらひさこ)
1897年11月25日-1968年3月19日)は、
明治〜昭和期の興行芸人、作家。
両手・両足の切断というハンデにも関わらず自立した
女性で知られる。

http://www.nakamura-hisako.co.jp/

幼少期
1897年(明治30年)11月25日、岐阜県大野郡高山町
(現高山市)で父・釜鳴栄太郎と母・あやの長女として
出生した。2歳の時に左足の甲に凍傷をおこしその後
左手に凍傷は移った。凍傷の影響から高熱で真黒に
焼け痛みと苦しみは昼夜なく久子を襲った。
続いて右手に移り最後に右足に移った。
3歳の時に凍傷がもとで、特発性脱疽となる。
手術すべきかと幾度となく親族会議をし決断を
下さないうちに、左手首からポロリと崩れ落ちた。
右手は手首、左足は膝とかかとの中間、右足はかかと
から切断する。幾度も両手両足を切断し3歳の幼さで
闘病生活が始まる。
7歳時に、最愛の父・栄太郎がこの世を去る。
不幸は続き10歳の時に弟とも死別する。
そんな激動の生活の中、彼女を支えてくれたのは
祖母ゆきと母あやであった。祖母ゆきと母あやの
厳しくも愛情のある子育てのお蔭で、久子は文字や
編み物を出来るようにまでなった。

青年期
1916年(大正5年)、20歳になった久子は地元高山を
離れ一人暮らしを始め、久子は「だるま娘」の名で
見世物小屋での芸人として働くようになる。
実際のところ、見世物小屋に入ったのは本人の
意思ではなく、母と再婚した父が身売りした為であった
見世物小屋では、両手の無い体での裁縫や編み物を
見せる事が芸であった。
順風満帆に見える久子だったが不幸もあった。
最愛の祖母の死や夫の死、それでも久子は
くじける事無く働き続けた。
その後1934年(昭和9年)興行界から去った。
久子は見世物小屋で働き始めた時「恩恵にすがって
生きれば甘えから抜け出せない。一人で生きて
いかなければ」と決意し、生涯を通じて国による
障害者の制度による保障を受けることは無かった。

見世物小屋を辞めてから晩年まで
1937年(昭和12年)4月17日、41歳の久子は東京
日比谷公会堂でヘレンケラーと出会う。久子はその時
口で作った日本人形をヘレンケラーへ贈った。
ヘレンケラーは久子を、「私より不幸な人、私より
偉大な人」と賞賛したという。
翌42歳の時、福永鷲邦氏に出会い、「歎異抄」と
出会う。
50歳頃より、執筆活動・講演活動・各施設慰問活動を
始め、全国の健常者・身障者に大きな生きる力と光を
与えた。久子は講演で全国を回っている中で自分の
奇異な生い立ちを語るとともに、自分の体について
恨む言葉も無く、「『無手無足』は仏より賜った身体、
生かされている喜びと尊さ」を語り、そのおかげで強く
生きられる機会を貰ったと感謝の言葉、「人間は
肉体のみで生きるのではなく、心で生きるのだ」と
語っている。
1950年(昭和25年)54歳の時、高山身障者福祉会が
発足し初代会長に就任する。65歳の時厚生大臣賞を
受賞した。

1968年(昭和43年)3月19日、脳溢血により高山市
天満町の自宅において波乱に満ちた生涯に幕を
閉じる。享年72。遺言により遺体は献体された。

中村久子の言葉
幾度もの苦難を乗り越えて自分で生き抜いてきた
久子は以下の言葉を残している。

「人の命とはつくづく不思議なもの。
 確かなことは自分で生きているのではない。
 生かされているのだと言うことです。
 どんなところにも必ず行かされていく道がある。
 すなわち人生に絶望なし。
 いかなる人生にも決して絶望はないのだ」
      ↑
如何でしたか?

中村久子さんと比較して、貴方は幸せな人生を
送られていませんか?
貴方よりも不幸な境遇でも、それに負けず、
一生懸命に与えられた人生を生き抜いた人は
多いのです。
今の貴方の置かれた環境に少しでも良いので
感謝しましょう。
感謝の気持ちが、貴方の苦しみを救ってくれます。

以上


メルマガ「社長の独り言」より。
sakuraishinya at 00:08

2009年12月27日

今日はさいっこうの一日!

いやー今日はお客さんひっきりなしだった!
一応運営できるだけの利益も出ました。
まだまだですけど。

この商売で面白いのが
お客さんとの出会い!
毎日にのように新しい人と
いろんなことをしゃべる。

こんな面白いことって
なかなかないな。

明日は約1ヶ月ぶりぐらいに休み!
何しようかと(笑)
たぶんありかで買ってきた香辛料の調合してると思う!
で一人でカレー食って飲んでるかな。

楽しかった〜!
これからやっていく自信がついたな〜!
明日から休みだけど、
商品開発やいろんなことで
カフェにいると思います。
sakuraishinya at 23:51

2009年12月26日

今日嬉しいことが!

火曜日に本格オープンしたんですが早速リピーターの方が友人お二人連れてきてくれました。

で、お二人とも夜の庭ライトアップ見て凄いって言ってました。

コーヒーもお代わりしてくれて嬉しい限り。

今のところ料理以外はかなり評判良いです!ビールもコーヒーも雰囲気も。カレーはもっともっと修行します。赤唐辛子だけでなく専用スパイス買おうっと。癖になるピリッとする辛さを唐辛子以外で出したい。

あとお酒も焼酎を芋と麦を揃えたいです。今日自分一人で飲んでたし(笑)出さない理由ないな、日本の家庭料理を出すのがありかのコンセプトだし。カフェ、というのは人が集まれる場、一人でも読者できる場、居酒屋と違って一人でも寂しくない場、という意図でつけてます。

で、お酒のあてを居酒屋にならない程度に出したいな。簡単なものでいいから出してという声を頂いてますし。

でもまぁ僕はいわゆる居酒屋大好きなんで、料理はそういうところにヒントのあるものを揃えたい。

よーし休み期間中にのんびり開発しよう!

今日は以前偶然会った人が来てくれて、しゃべってるうちに30分経ってから分かって大笑いでした。

楽しかった!明日はかわいい女の子が4人も来るそうなんで楽しみです!今年ラスト営業楽しもう。
sakuraishinya at 22:51


プロフィール

2004年から日本製工芸品オンラインストアの職人.comを運営しています。これまで134カ国・地域を旅しました(旅行記はこちら)。
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