2015年05月
2015年05月30日
いよいよ明日か。

何だか今回は無駄に緊張するなー。
インフラがどの程度整っているか
全く分からないので。
それにしてもしばらく旅に出ないだけで、
どうにも腰は重くなり、体はなまってくる。
六月末から受注社員が卒業するので、
しばらくは完全に僕がやる形になる。
彼を無事次なるステージへと
推し進められ、感謝もされて嬉しいけど、
何だろうこの半端ない後退感は(笑)
まぁ一生一緒にやっていくのかなとも思っていたので。
しばらくは旅に出ることはできないな。
ところでつい最近まで何年も彼と二人だけでやってきて、
彼の人生に対する責任を常に感じていた。
それが今回の件で、
自分の選択肢が少し広がった気がする。
と同時に、これまで築き上げたものも
いとも簡単に無くなることもあり得るんだなと
諸行無常のような気持ちを
この一週間ずっと感じていた。
今を生きなければ。
未来はどうなるかは分からないので、
あれこれ予想や心配をするよりも、
今にもっと焦点を当てて生きていこうと思った。
sakuraishinya at 23:37
2015年05月29日
旅は本当にハードだ。3週間前から憂鬱。それでもなぜ行くのか。
![uga1[1]](https://livedoor.blogimg.jp/gandwgroup/imgs/6/7/67d43dce-s.jpg)
※ウガンダの首都カンパラ
仕事をほったらかして良い気なものだとお思いの方も
もちろんいらっしゃることだろう。
自分の生き方を批判されることはほとんどないが、
今一度旅について書いてみたい。
僕はなぜ旅をするのだろう。
ふとこんな根本的な疑問にぶち当たる。
楽しみたいからだろうか?
それは少し違う気がする。
明らかに楽しくなさそうなところにも行ったりするからだ。
恐怖でしかない。
自慢したいからだろうか?
これは少し当たっている。
自分の生き方を発信したい。
芸術家や起業家はおそらく自己愛が人一倍強い。
モテたいからだろうか?
これはあまり当たらない。
昔から女性にはモテなくはなかった。
妻もいるし、11年かけて築き上げた会社を台無しにするつもりはない。
成長したいからだろうか?
うん、これなら間違いなくイエスと言える。
ただどういう成長だろう。
ドラッカーは僕のような凡人にでも分かりやすい
指針を与えてくれた。
「私が十三歳のとき、宗教の先生である牧師さんが『何をもって憶えられたいかね』と聞いた。誰も答えられなかった。すると、『答えられると思って聞いたわけではない。でも五十になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよ』といった。長い年月がたって、私たちは六十年ぶりの同窓会を開いた。ほとんどが健在だった。あまりに久しぶりのことだったため、はじめのうちは会話もぎこちなかった。するとひとりが、『フリーグラー牧師の質問のことを憶えているか』といった。みな憶えていた。この質問のおかげで人生が変わったといった。・・・・今日でも私は、いつもこの問い、『何をもって憶えられたいか』を自らに問いかけている。これは、自己刷新を促す問いである。自分自身を若干違う人間として、しかし、なりうる人間として見るよう仕向けてくれる問いである。運のよい人は、フリーグラー牧師のような導き手に、若いころそう問いかけられ、一生を通じて自らに問いかけ続けていくことになる。」
(ドラッカー「非営利組織の経営」より) こちらのサイト様より引用
「自分は何をもって憶えられたいか」
この問いによって救われる人も多いのではないか。
無我夢中でやっていたら気付くとそうなっていた、
という偉人が多い中で、
最初にゴールから逆算する偉人もいたということ。
自分の人生なんて本当にちっぽけなものだ。
その中で悪あがきをしているに過ぎない。
その一つが世界中を巡るということなんだろう。
世界を巡った人。そして世界の手仕事を再興した人。
そんな人として自分は憶えられたい。
sakuraishinya at 15:09